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昭和のカメラマン

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映像の歴史

スピグラとは、スピードグラフィック (Speed Graphic)の事で、グラフレックスが製造した大判カメラである。
4×5in判でレンジファインダーを持っていて、第2次世界大戦前から、政府機関や新聞社などに広く使われた。


スピグラ_c0343556_13495991.jpg



占領軍と従軍記者が持ち込んだスピグラは、たちまちプレスの標準装備になったのだった。
1960年10月12日浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年に刺殺された。毎日新聞の長尾靖(故人)が、
これでピュリッツァー賞をとった
# by exitcameraone | 2014-11-12 14:13 | History
テレビ取材用の16ミリカメラ
アメリカのベル&ハウエル社製、フィルモ70DR。
フィルモは報道取材用の定番機種で、ニュース映画はもちろん、まだTVカメラのハンディタイプがプロの使用に耐えるようになるまではTV局のニュース取材はこれが定番だった。
フィルモ70DR_c0343556_14555493.jpg

# by exitcameraone | 2014-11-05 14:55 | History
はじまり
振り返ればその昔、数万のペルシャ軍がギリシャに攻め入り、アテネ近郊のマラトン地でギリシャ軍がわずか一万の兵で迎え撃ち、圧倒的不利の中でペルシャ軍を打ち破り、この勝利の情報をアテネに伝えるために命を懸けて走ったのがマラソンの始まりとなり、またメディアの始まりになったと云われている。
15世紀半ば、グーテンベルグによって活版印刷が発明されると、ヨーロッパで日刊紙が創刊され、情報を大量に流す時代に入った。

写真の出現
湿版写真が発明されるとクリミア戦争(1854~1856)やアメリカの南北戦争(1861~1865)でも、初期の報道写真として戦場で写真が撮影されるようになった。
 当時は大きな三脚に巨大な箱型のカメラを乗せ感度も低いため長時間の露光が必要であり機動性もないため戦闘が終った跡の様子が撮影されている。
 北軍が勝利を決めた有名なゲティスバーグの戦いなど、戦闘で倒れた兵士が横たわっている様子を撮影したものだった。

無線通信の成功
1895年マルコーニによって無線通信が成功すると、一つの情報を電波によって同時に多方向に大量の情報発信が出来るようになり、これによってアメリカ・イギリスに放送局が生まれたのであった。
1939年、ドイツの小型戦艦シュペーが、イギリス艦隊と交戦、大破して中立国の南米ウルグアイのモンテビデオ港に逃げ込み停泊。イギリス艦隊は出港すれば撃沈すべく港外に攻撃態勢を敷き待ち構えたが、三日後自沈。この様子をアメリカのラジオ局が連日実況中継放送し人々をラジオの前に釘づけにしたのが有名である。

ドイツとアメリカ
ヒットラーの出現と共にナチス宣伝用の映画製作のためヒットラーは当時映画用35ミリと16ミリの小型の手持ち撮影の出来るカメラの開発を命令、そして出来上がったのがアリーフレックス35STと同16であり、この頃に映画の35ミリフイルムで撮影出来る小型カメラ、ライカも誕生している。
# by exitcameraone | 2014-11-03 13:31 | History
ブログを再開しました。

 久し振りなので、色々様子が変わっていて戸惑っていますが、ボツボツ始めます。

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今日もいいお天気で、社友会の皆様もげんきです。
# by exitcameraone | 2014-10-22 14:03

by exitcameraone